はっぱふみふみ『大橋巨泉』硬派と軟派の真ん中で

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OOHASHI_KYOSEN

2016年7月12日 日本のジャズ黎明期から評論家として活躍し、またビートポップスの司会を通じてポップスの楽しさを日本中に伝えた大橋巨泉さんがご逝去されました。日本のテレビ界の巨星、革命児でもありました。

ここでは、ウームソング・ドット・クラブ流に、巨泉さんの魅力をご紹介し、偲びたいと思います。

合掌。

WooM(ウーム)!!!!!

 

大橋 巨泉さんとは

大橋巨泉さん(1934年3月22日-2016年7月12日)は、日本のテレビ界を代表するマルチタレントでした。テレビ番組司会者、ラジオパーソナリティー、競馬評論家、音楽(ジャズやポップス)評論家、時事評論家、実業家・芸能プロモーター……と各方面で大活躍されていました。

特に、印象的なのは日本初の深夜のワイドショー「11PM」の司会者としての巨泉さん。1966年から司会についたのですが、競馬や麻雀など、それまではテレビに馴染まないと考えられていたテーマをドンドン紹介! 革新的なテレビスタイルを創造しました。

 

牛も知ってるカウシルズ

1966年〜1970年に毎週土曜日午後、フジテレビで巨泉さんは「ビートポップス」という音楽チャート番組の司会を担当していました。66年はビートルズが日本に来日した年、70年はビートルズ解散の年……ロックが世界的に盛り上がった時期でした。そして、日本の若者が洋楽にのめり込み始めた時代でもありました。

しかし、洋楽やロックはラジオが主流でした。まだ、ミュージックビデオなど洋楽に関する映像的な情報が極端に少なかったので、テレビ的な表現が極めて難しかったのです。

しかし、巨泉さんはテレビのスタジオをディスコ(今でいうクラブ)のようにし、当時流行していたゴーゴーダンスを見せることで、洋楽の(映像的な)弱点をカバーする演出をしたのです。 

ここで巨泉さんが放った歴史的なダジャレ「牛も知ってるカウシルズ」! 当時の若者でこのダジャレを知らない人はいなかったでしょう。巨泉さんの影響力は計り知れないパワーをもっていました!

カウシルズ – 雨に消えた初恋

ビートポップス(テレビ番組)

非常に面白い! 巨泉さんのとぼけた味が素晴らしい。内容は、1969年の年間チャート総集編です。巨泉さんのDJはとばしまくり……毒舌、唯我独尊、軽いノリ……平成の現代に流れていてもまったく違和感のないスピード感と語り口です。そうか、そう言うのって……巨泉さんから始まったんですね。

 

はっぱふみふみ

巨泉さんは1969年1~3月にパイロット社の万年筆「エリートS」の CM で、「はっぱふみふみ」なる摩訶不思議な言葉を流行させました。

当時、パイロット社は、大量800人をリストラせねばならないほど業績が悪化していました。そこで、お茶の間に圧倒的な人気を誇っていた巨泉さんに CM を依頼したのです。

巨泉さんはこの時、託された台本があまりに常識的で何のひねりもないものだったため……「この CM じゃ、この会社はもうダメだね」と感じたそうです。

そこで、台本通りにやるけれど、一回アドリブでオレにやらせてくれ……と提案し、双方を収録。そして、どちらにするかの決定をパイロット社に託しました。

で、選ばれたのは巨泉さんのアドリブ・バージョンでした。おそらく、当時の日本中の小中学生は、この CM を真似してたんじゃないかなぁ。もちろん、野口もやっておりました。

大橋巨泉 – パイロット万年筆 CM

この CM の効果によって、とにかく爆発的な勢いで万年筆は売れに売れ、大変な業績アップで、800名もリストラせずに済んだそうです。巨泉効果は同社にとって天文学的な大きさだったのです。

ちなみに当時で2000円のこの万年筆、現在だと約8000円くらいにあたるそうです。なかなか高級品だったのですね。

 

ゲバゲバ、ピー!『ゲバゲバ90分』

巨泉さんが、これまた天才司会者としてしられる前田武彦さんとタッグを組んだ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ1969年10月 – 1971年3月)も、爆発的な人気でした。

日本人がそれまでに経験したことのない笑いを速射砲のように繰り出すコント番組でした。

優秀なスタッフやプロデューサー、ディレクターたちが揃い、出演者はお笑い芸人をほぼ使わず(コント55号のみピンとして出演)渋い俳優さんや個性派タレントで固め、コント作家や作曲家は当代きっての才能を集結させ……想像を絶するモンスター番組を仕切るのには、巨泉さんのトーク力や存在感は不可欠でした。

上記の動画を見ると、その先進性がよく分かりますね。

この番組のスタッフリストを見て驚いたことがあります。

プロデューサー→企画:井原高忠
演出→プロデューサー:仁科俊介
演出:齋藤太朗、田中知己
音楽:宮川泰、前田憲男
総監修:三木鶏郎
構成:井上ひさし、奥山侊伸、田村隆、松原敏春、喰始、林家こん平、キノトール、浦沢義雄、河野洋、津瀬宏 ほか、合計42名の放送作家を動員

製作著作:日本テレビ

Wikipedia より

なんと総監修があの三木鶏郎(ミキトリロー)さんです。天才構成作家をかかえる文芸部や冗談工房を指揮した大プロデューサーですね。

永六輔さんについてのコラムで、三木さんがいなければ永さんもいなかった的な解説をしましたが、あのトリローさんがゲバゲバにも関わっていたとは、さすがとしか言えません。

永六輔の生き方に学べ!『上を向いて歩こう』作詞秘話

余談になりますが……

ゲバゲバで巨泉さんと共に司会をした前田武彦さんも、巨泉さんの「ビートポップス」同様、日本にポップスを根付かせた番組を持っていました。それはラジオ番組「前田武彦・木元教子の東芝ヒットパレード」です。

東芝というレコード会社のアーティストのみのチャート番組でしたが、なんと、

  • ビートルズ
  • ビーチボーイズ
  • ベンチャーズ
  • アニマルズ
  • デイヴ・クラーク・ファイヴ
  • クリフ・リチャード

……当時のほとんどの大物アーティストは東芝! といった状況だったため、あまり違和感なく聞くことが出来ました。

さらに余談の余談ですが……

巨泉さんは早稲田大学の政経(中退)でしたが、その早稲田の先輩で、ジャズ評論家・11PM(イレブンピーエム)の先輩司会者などで、巨泉さんに大きな影響を与えた小島正雄さんも、また、日本のポップス界になくてはならない人でした。

「9500万人のポピュラーリクエスト」がその番組。こういった先駆者達から、当時の若者はさまざまな情報を貰っていたのです。しかし、60年代、日本の人口は9500万人だったのですね。

 

11PM から派生した24時間テレビ

巨泉さんの魅力は、その中に硬派なキャラと軟派なキャラが共存して、どちらも光っていることだと想います。

11PM といえば、軟派な代表のように見られています……というか当時、親と一緒には恥ずかしくて観られないようなお色気シーンが満載の番組でした。しかし、その中で硬派の社会ネタ「巨泉の考えるシリーズ」を組み込んで、硬派の部分もキッチリと打ち出していました。

「考えるシリーズ」で、世界の福祉をテーマに取り上げた関連で、「24時間テレビ 『愛は地球を救う』」(1978年)が始まったそうです。

ですから第一回24時間テレビの総合司会は、当然、巨泉さんが担当しました。

 

11PMも巨泉さんがいなければヒットしなかった

日本テレビには、井原高忠さんという天才プロデューサーがいました。11PM の原型も1965年に井原さんプロデュースで、それまで不毛の時間帯だった深夜枠を開拓しようと始めた番組でした。

しかし、報道局の仕切りで始まったため、硬派のみの時事解説番組だったそうです。当然、視聴率は全く取れませんでした。

そこに構成作家として参加したのが巨泉さんです。

巨泉さんは、「何なら僕が11PM を変えてやる」と自ら出演を希望しました。井原さんはその申し出を OK して、報道局に掛け合い、番組を全面リニューアルしました。

30代後半以上の皆さんで、11PM をご覧になったことがある方は、あの番組の雰囲気やイメージ、センスが実に巨泉的であると、感じられると想います。

……なるほど、11PM は、巨泉さんそのものだったんですね。

ちなみに、ゲバゲバも井原さんのプロデュースでした。

 

まとめ

2016年初夏、相次いで日本の偉大な才能が天に召されました。永六輔さんと大橋巨泉さん。お二人は、早稲田大学の同級生で、ともに日本のテレビやカルチャーの為につくした、まさに恩人です。

奇跡とか運命とか……そんな言葉を想い出すのは、2016年2月4日『徹子の部屋』での巨泉さんと永さんの最期の共演です。

2016年2月4日『徹子の部屋』

 

お二人のご冥福をここにお祈りいたします。

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野口 義修

投稿者プロフィール

音楽プロデューサー。
ベストセラーの『作曲本』(シンコー刊)や『楽しく学べる作詞作曲』(ナツメ社)の著者。
あみんの「待つわ」、雅夢の「愛はかげろう」、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」、 伊藤敏博の「さよなら模様」......など多くの才能やヒット曲を世に送り出す。ヤマハ音楽院、昭和音大で作曲などの講師を歴任。

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野口 義修

音楽プロデューサー。

ベストセラーの『作曲本』(シンコー刊)や『楽しく学べる作詞作曲』(ナツメ社)の著者。

あみんの「待つわ」、雅夢の「愛はかげろう」、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」、 伊藤敏博の「さよなら模様」......など多くの才能やヒット曲を世に送り出す。

ヤマハ音楽院、昭和音大で作曲などの講師を歴任。

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