上を向いて歩こう作曲者、日本ポップス界の開祖「中村八大」

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このコラムでは、偉大な作曲家を取り上げて、音楽に対する考え方や取り組み方、作曲手法や時代との関わりなどを、たのしく紹介していきます。

今回は、「上を向いて歩こう」の作曲者、日本ポップス界の開祖 中村八大さん(1931年1月20日 – 1992年6月10日)をご紹介します。

2016年、生誕85年となる八大さんの足跡と音楽性を学びましょう。

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中村八大とは

2016年、BABYMETAL のアルバムがビルボード誌でトップ40に入ったというニュースが流れました。それは、「SUKIYAKI」(坂本九)以来、約53年ぶりとなる快挙だったのです。その SUKIYAKI こと「上を向いて歩こう」を作曲をしたのが中村八大(なかむら はちだい)さんです。

2016年4月より全7回でオンエアされた NHK 総合土曜ドラマ「トットてれび」で、「上を向いて歩こう」の頃の雰囲気をご覧になって懐かしんだり、面白がったりされた方も多いのではないでしょうか?

その時代の日本の音楽を支えていたのは、中村八大さんだったのです。

 

3・11の復興を願い歌われた「上を向いて歩こう」

2011年3月11日に起こった東北大震災で、復興に向けての勇気や希望を鼓舞するメロディーとして、日本中で歌われたのは、「上を向いて歩こう」でした。

「上を向いて歩こう」は、

  • 作詞:永六輔さん
  • 作曲:中村八大さん
  • 歌唱:坂本九ちゃん

という六八九トリオの作品です。

日本には、老若男女誰でも知っていて、歌えば不思議と前向きな気持ちにさせてくれる魔法のメロディー「上を向いて歩こう」があるのです。

まさに日本の宝物だと思います。それを作り出してくれた中村八大さんには、感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

日本で最初のバラエティー番組「夢であいましょう」

「とっとテレビ」の話の中で、日本で最初のバラエティー番組と言われる「夢であいましょう」の話も出てきましたね(第2話)

実は、「夢であいましょう」では番組独自のオリジナルソング(今月の歌)をいっぱい発表していました。その大半を八大さんと永さんが作っていたのです。

代表曲を上げると……

  • 上を向いて歩こう(歌:坂本九)
  • 遠くへ行きたい(歌:ジェリー藤尾)
  • おさななじみ(歌:デューク・エイセス)
  • こんにちは赤ちゃん(歌:梓みちよ)
  • 帰ろかな(歌:北島三郎)

……どれも、素晴らしい楽曲で、今でも日本のスタンダードとして残っているものばかりですね。特にメロディー! 覚えやすく心に染みる旋律ばかりです。

若い作曲家の皆さんも、古い Jポップの骨董品だと想わずに、メロディーが心に染みる秘密を、八大さんのメロディーから盗んでください。

ここで、夢であいましょう(1965年2月の放送)が、YouTube に丸ごとアップされていましたのでご紹介いたします。台本は永六輔さんが書いていました。音楽は、もちろん八大さんです。

若き日の九ちゃん、黒柳徹子さん、越路吹雪さん、デューク・エイセス、ジャニーズ。

1960年代の日本の味です! ご覧ください。

夢であいましょう

八大さんは、戦後日本の歌謡界にジャズのエッセンスを持ちこみ、世界に通用するメロディーを生み出した天才作曲家です。

八大さんには「上をむいて歩こう」でアメリカのチャート誌「ビルボード」でナンバーワンに輝くという日本人としては前人未到の功績があるのです。その後も誰一人として、達成していない大記録です。

1963年の時代、海外アーティストがアメリカのチャートで一位を獲得するのは本当に大変なことでした。ビートルズがアメリカのチャートに乗り込んだのが、「上を向いて歩こう」の一年後の1964年でした。

もちろん、八大さんの生み出したメロディーは、単なるエキゾチックなサウンドが物珍しくてアメリカ人に受けたのではありません。また、スキヤキというヘンテコなタイトルだったから注目を集めたのでもありません。

純粋に音楽として評価されたのです。

心に染みるメロディーはもちろん、とにかく新鮮でカッコいいサウンドだったのです。ジャズっぽくもあり、ラテンっぽくもあり、メロディーには日本の細やかさも感じられる!

しかも、根っから明るいアメリカの人々にも、この音楽の持つ暖かさと明るさは、ジャストフィットしました。こんなオシャレな音楽は、ポピュラーの本場アメリカの人々も聞いことがなかったのです。

しかも、レコードの音源は日本のスタジオ、日本のミュージシャンで録音されたそのままがアメリカでヒットしたのです。

坂本九 – 上を向いて歩こう

 

中村八大の原点

さて、そんな八大さんの原点は早稲田大学にありました。早稲田大学高等学院の頃からプロのバンドでピアニストとして活躍していました。

早稲田大学に入学してからは、当時、日本最高の実力を持ったミュージシャン(ジョージ川口、松本英彦、小野満)達と共にジャズバンド「ビッグ・フォー」を結成しました。いかに、早熟の天才だったかが分かります。

当時、同じく早稲田の先輩で、後に「渡辺プロダクション」(通称、ナベプロ)を創業した渡辺晋さん率いるバンド「渡辺晋とシックス・ジョーズ」に参加しました。この出会いが、八大さんのメロディーが世界に羽ばたくキッカケでした。

なにしろ、ナベプロはクレージキャッツやザ・ピーナッツといったテレビ創成期の大スターをかかえてナベプロ王国とまで言われたのです。

晋さん経由で、八大さんはテレビ業界との繋がりができたのです。

 

中村八大と永六輔の出会い

八大さんと永さんの出会いは、ちょっとした秘話があります。

八大さんは、東宝映画「青春を賭けろ」で初めての映画音楽を書くことになり、「明日までに10曲を作る」と映画会社と約束したものの、肝心の作詞家の心当たりがまったくなかったそうです。歌詞がなければ約束が果たせません。

思案顔で銀座を歩いていた八大さんは、永さんとバッタリ出会いました。当時、学生でありながら、既に放送作家として活躍していた永さんです。八大さんは、きっと永さんなら作詞もできるはずと確信し、永さんに「作詞をしたことがあるか?」とたずねました。

永さんは、作詞のさの字もしたことがなかったのですが、とっさに「出来ます!」と答えてしまったそうです。そして、そのまま二人は八大さんのアパートに向い、徹夜で10曲作ったそうです。

まず、八大さんがメロディーを作り、楽譜もほとんど読めない永さんが、手渡された楽譜のメロディーの音符の数を数えながら、言葉を当てはめていきます。

まさに流れ作業!

しかし、なんとこの夜に作った一曲が、その年に新設された第1回レコード大賞の大賞受賞曲となった「黒い花びら」(歌・水原弘)になるのです。凄すぎるエピソードですね。

さらに1963年、第5回レコード大賞では、「こんにちは赤ちゃん」(歌・梓みちよ)で再び大賞受賞という快挙を二人で成し遂げました。

実は、同じ年、同じコンビの作品「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」のタイトルでビルボードの1位に輝いています。

作曲家も最高のパートナーとしての作詞家を得て初めて素晴らしい歌を生みだすことができるのですね。

水原弘 – 黒い花びら

 

中村八大が永六輔を怒らせる?

八大さんは何度も何度も、永さんを激怒させているようです。

メロディー至上主義の八大さんですから、永さんの歌詞を細切れにし、部分部分をカットし、一部分しか使わないというようなことが多々あったそうなのです。

永さんの著書「ぼく達はこの星で出会った」によれば、「遠くへ行きたい」は♪知らない町を歩いて見たい~どこか遠くへ行きたい……というフレーズの「~」部分に十倍の歌詞があったのをメロディーの都合で削ってもらったりしたそうです。

でも、結果ヒットしているのですから、メロディーの都合とはいえ、八大さんには歌詞のなんたるか! その本質が分かっていたと思います。

しかし、この作曲家による歌詞の変更は、作家同士がよほどツーカーの仲でないと大問題です。要注意ですね!
寅さん役の渥美清さんで、「遠くへ行きたい」を聴いてみましょう。 

渥美清 – 遠くへ行きたい

 

中村八大のヒット曲

八大さんは、上記でご紹介した以外にも、

  • 北島三郎「帰ろかな」
  • 坂本九「明日があるさ」
  • シング・アウト「涙をこえて」
  • 水原弘「黄昏のビギン」
  • 三波春夫「世界の国からこんにちは
  • 森山加代子「じんじろげ」
  • 「笑点」(日本テレビ系列)のテーマBGM
  • 西田佐知子「初めての街で」(日本酒のCMソング)

……超の付く名曲ばかりを作っています。

シング・アウト – 涙をこえて

合唱曲の定番となっている「涙をこえて」です。

三波春夫 – 世界の国からこんにちは

1970年、万国博覧会のテーマソングです。三波さんのレコードだけで140万枚売れたそうです。

笑点のテーマ

日曜日の夜はこれを聴かないと! という方も多いのではないでしょうか?

八大さんのメロディーは、演歌もポップスもジャズもお笑いも、何でも御座れですね。メロディーの特徴を探すと、ペンタトニック・スケールあるいはマイナー・ペンタトニック・スケールという日本人の心の故郷のようなスケールを多用していることが分かりました。

笑点のテーマ、上を向いて歩こう……Aメロディーは、ペンタトニック・スケール。

帰ろかな……Aメロディーとサビは、マイナー・ペンタトニック・スケール。

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中村八大が歌う「太陽と土と水を」

さて、本来は歌を歌わない八大さんが、自ら作詞作曲をして歌っている楽曲があります。

「太陽と土と水を」という作品(1971年発表)です。この曲は、ヤマハの合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル’71に参加して、「作詞賞」「フジテレビ賞」を受賞しています。このフェスティバルは、司会が永六輔さんでした。

大切なのは、太陽と土と水! というメッセージを熱唱しています。2011年、2016年、度重なる大震災などで、太陽と土と水の大切さを今の日本人は心から感じています。

今一度、「太陽と土と水を」を聴き直してみましょう。

中村八大と合唱団「太陽と土と水を」

八大さんは自分のメロディーと自分自身をこう語っています。

自分で一生懸命、ウェットになっても、自然と明るい感じのカラッとした曲ができてしまう。仕事のことに限らず、日本人でありながらちょっと乾燥した日本人ができあがっちゃった。

なるほど、八大さんの中にも、そのメロディーの中にも、太陽が住んでいるのですね!

だから、人は苦しいとき「上を向いて歩こう」など八大作品を歌いたくなるのですね!

さて、2016年は、八大さん生誕85年。「上を向いて歩こう」の初演から55年。「太陽と土と水を」から45年という節目の年でした。

そして、2017年は、没後25年です。

 

まとめ

新しいサウンドを追い求めている人ほど、八大作品という日本のポップスの原点を聴いてみるといいでしょう。

心に残るメロディー! ありがとう八大さん。

野口 義修

投稿者プロフィール

音楽プロデューサー。
ベストセラーの『作曲本』(シンコー刊)や『楽しく学べる作詞作曲』(ナツメ社)の著者。
あみんの「待つわ」、雅夢の「愛はかげろう」、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」、 伊藤敏博の「さよなら模様」......など多くの才能やヒット曲を世に送り出す。ヤマハ音楽院、昭和音大で作曲などの講師を歴任。

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野口 義修

音楽プロデューサー。

ベストセラーの『作曲本』(シンコー刊)や『楽しく学べる作詞作曲』(ナツメ社)の著者。

あみんの「待つわ」、雅夢の「愛はかげろう」、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」、 伊藤敏博の「さよなら模様」......など多くの才能やヒット曲を世に送り出す。

ヤマハ音楽院、昭和音大で作曲などの講師を歴任。

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